「明智光秀 織田政権の司令塔」

 現時点でわかる明智光秀の軌跡を淡々と書いた本。「本能寺の変」の黒幕は!?的な煽りは無いです。
 
 明智光秀はホント戦いやら外交やら内政やら活躍(使い倒されて)いるなあ、、と。有能なのがわかります。

 信長も1560年に桶狭間の戦いで勝ってから上洛まで10年かかっていない。そして、上洛したら朝廷や幕府、その影響が強い勢力と本格的にやり取りしたり、渡り合わなければならないわけで。そうだとすると、尾張・美濃の部下だけでは心もとないので、光秀のような人材は非常に重宝されたんだろうなと。

 本能寺の変関係ではいえば、1580年前後の状況として、明智光秀は毛利や長曾我部との和睦方向の外交ラインに関わっていました。でも、結局、信長はどちらも対決姿勢に転換。ご存知の通り秀吉は鳥取城包囲、備中高松城水攻め。本能寺当時は信孝が四国攻めする用意をしていたわけで。直接ではないですが、何となく、本能寺の遠因はここらにあるのではと。
 
 あと皮肉なエピソードとして。光秀は、上洛後の信長に、京都吉田山にお屋敷を築いた方が良いと進言したらしいです。ですが、進言は採用されませんでした。その結果、上洛後も信長や明確な京都での宿所を定めず、妙覚寺や本能寺を宿所としたらしいです。もし信長が進言を採用して吉田山に平城的なお屋敷を建設していれば本能寺の変は起きなかったかもしれない。そんなことも書いていました。